a.k.a.Sakaki

赤坂さかきの旅路

Berlin and Kay (1969) を踏まえて

人間の言葉と他の動物の伝達手段が異なっているのは、人間の認識行為が現象の直接把握と同時に、記憶と記録に結びついていることに起因する。記憶し、記録する行為は、必然的に、自己を連続的な存在として把握することを前提としている。各言語の言葉としての粗密の度合いは、こうした認識の深浅と記憶/記録しようとする意志(欲求)、即ち、生活の中で呼吸する過去と現在の間の距離に左右されているとも言えよう。

 Berlin and Kay (1969) の行った98種類の言語における基本的色彩語の比較研究*1は、色彩語に見られる各言語間の認識の相違を示すと同時に、言語が‘evolutionary’な存在であることも示唆している。この研究では11種類の基本的色彩語が設定され、これらの語の各言語における現れ方がⅠ~Ⅶの進化のステージの中で分類されている。11種類の基本語の理論上可能な組み合わせは、2048通りに及ぶが、調査の対象になったは22通りであった。

 「経験を分類する」道具として言語を捉える場合、この研究に見られる各言語間の相違は、単なる色彩語という枠組みを超えて検討されなければならない。この22の型に対応する2種類の言語を例にとって具体的に示せば、フィリピンのミンドロ島で話されているHanunóoでは、[WHITE] [BLACK] [RED] [GREEN]という4種類の基本色彩語が用いられているのに対し、Englishは、white, black, red, green, yellow, blue, brown, pink, purple, orange, greyという11種の基本語のすべてを用いている。固より、種族によって外界の色彩を判別する能力が異なるとは考えられない。Hanunóoが話されている言語社会では、この4種類の話がその社会における人間と環境の関係性を示すのに必要かつ十分な意味を持っているのであり、各語に与えられた意味は、Englishにおける、white, black, red, greenのそれぞれが持つ意味の範疇を超えていることが当然予想される。

 Berlin and Kayは、「進化するもの」として言語を捉えているが、HanunóoとEnglishの色彩語における関係は、進化がすなわち分化であることを示している。言語の持つ可塑的性質は、言語経験に生じる変化に対応した意味の分化を促すが、これは原始語が本来有しているはずの「象徴的(=symbolic)な力」を失っていくことでもある。言葉は本来自然に依拠しているものであるため、その象徴力は、言語が複雑化するにつれて、即ち、関係の認識が拡大され深められるにつれて失われる性格のものである。Berlin and Kayによって観察された言語の ‘evolution’ は、この意味において、言語の‘sophistication’とも呼べるもので、人間は「進化する」代償として、言葉の本然的力である象徴機能を寸断しなくてはならない。文字の発達は、このような現象を背後から支えるもので、言わば、ゾル状の音の世界をゲル状に固定する機能を持つと考えられる。文字を持たぬ社会における言語行為は、ゾル状態の中から瞬間的、一時的ゲル状態を生み出す作業であるとも言える。しかし、自然の持つ回復力は、手段を持たぬ人間の一回的試みを遥かに凌駕するもので、この意味から、文字は、不安定ながら人間がゲル状態を維持しうる唯一の体系的手段といえるであろう。

*1:Berlin and Kay, 1969, Basic Color Terms: Their Universality and Evolution, University of California Press.(追記:2017年に『基本色彩語』の邦題で日本語訳が出版されていたらしい)