a.k.a.Sakaki

赤坂さかきの旅路

近況:車窓より

こんにちは。最近の筆者は(ありがたいもので)多忙を極めており、特に遠出することもなく近所をブラブラするくらいに留まっています。前回の記事で公開していなかった桜の写真と共に「近況をまとめてみようかなあ」という思い付きの記事です。

自分のやりたいことって何だろう

早いもので桜も散ってしまいました。つい昨日までは新年度で「例年よりもソメイヨシノの開花が遅いなあ」などと考えていたような気がします。やっぱり、何かを成すには人生はあまりにも短い(何かを成そうとしているわけではない)

実は現在、品川に向かっている新幹線の中で記事を書いています。熊本、新神戸、そして名古屋に続いて東京です。あまり「忙しい」を口にしているとまた仕事が逃げていくのですが忙しい。

それでも、出張中の車内では機密保持の観点からPCを開いて仕事をすることもできないため、強制的に、ぼんやりと車窓を眺めたり、本を開いたり、こうして考えていることを文字に起こしたり…と、多少なり気楽な気分でいます。

不本意かつ成り行きではあるものの、せっかく「個人事業主」という社会のハミダシ者になったというのですから、自由時間は多くあっても良いと思っています。しかし、実際には「真っ当に生きている」人々、つまり、社会に寄生しなければならない状況であることに変わりありません。人間が関係性に生きる動物であることを再認識しています。

さてさて、本当に自由になるためにはどうしたら良いのでしょうか。非課税の6億円を引き当てるしかないのでしょうか。仕事は「自分にできること」を基準に一生懸命やって来たつもりですが、今日を生きることで精一杯だった自分に比較的余裕が生まれてきた現在、今度は「自分がやりたいこと」にシフトできないものかを考えています。

自分がやりたいことって何だろう、と考えてみました。それは「その日(前日)に思い付いたことをやる」というものでした。具体的には「寝たい」と思ったら寝て「食べたい」と思ったら食べて「散歩したい」と思ったら散歩できるヒトになることでした。

筆者は、現在、IT業界で企業の業務改善のお手伝いをしています。業務改善というのは、会社員の業務負担を減らして効率化を図るものなのですが、これが心からワクワクする仕事なのかというと、首を縦に振れないのが本音です。

言ってしまってはですが、業務を改善できたとしても増えるのは社員の給料や暇な時間ではなく「別の業務」です。この業務改善が、これから訪れる(既に訪れている)働き手の不足に向けた対応だとしても中々浸透しないのは当然ですし、"DX" というキーワードが、経営者の不勉強で社員に不幸をもたらす呪文になってしまっているような気がしてなりません。

また、この仕事は "fictive" なものです。生物は、生物らしく代謝と生殖をしていればよいものですが、お金を稼ぐための手段に過ぎません。将来を憂いし人々の心の隙を突いたビジネスです。特に、そういったことに興味関心のない自分にとっては単に「やらないといけないことがある」というだけで何か心が穏やかになるものではないのです。

やりがいのある仕事であることは確かですし、コンビニで働いているよりは身体的な負担はありません。しかし、最新技術のキャッチアップを始め、作業指示書通りにモノを作ることも然り、教員時代と同じくして「理解のない他人のために」働くことが自分にとっては中々大変な毎日です。

甲状腺の病も悪化の一途で「これ以上は投薬量を増やせない」と医者に言われました。心身の負担を小さくしなければなりません。どの仕事にも一定量のしんどさがあるものですが、あまり教員時代の働き方と変わっていないような気がして、方向転換を再び考えているような状況です。

どこに舵を切るのか…ということが今後の問題となっていきそうです。写真家は山ほどいますし、YouTube ドリームは現実味がありません。ともかく、生活水準を維持しながら負担軽減に向けて動いていきたいと考えています。

もっと「生」と向き合いたい

「思い付いた時に思い付いたことをやる」というのは、言い換えると、未来のことを考えないで生きることです。将来を約束し合うネコがいないのと同じで、目前に広がっている景色や肌で感じる気温、口の中に広がるソフトクリームの甘さのことを考えていたいということです。

まだ春にしがみつきたいのに

それを、階段を一歩ずつ踏み歩くようにして写真に収めては文字を残す。喩えるなら、スナフキンのような吟遊詩人として生きることを意味しています。どうでしょうか、30代にもなって子どものようなことを言っていますが、本人は大真面目だったりします。

動画撮影は休憩

それを実現するには「人の集まる場所の提供」をしなければ成り立たない気がしています。飛躍しているので説明を加えると、自然に生きていながらも、自分の元に集まってくれる人と関わっていくことが必要だと思っています。

自分は、こうして野鳥を眺め、バイクに乗り、写真を撮り、たまに絵を描いたり本を読んだりして生活をしていれば良いのですが、そうした同じ趣味を持っている人々が交流できるような場所の提供をすることで生計を立てられないものかを考えています。RPGでいう「パブ」みたいな場所ですね。

それを実現するためには、日の目を見るまで SNS での発信を続けるしかありませんし、生計を立てる以上は「経営」も考えなければならないのですが、それは今は置いておいて「カレーとケーキとコーヒーのお店」というのを考えています。ああ、事業を始めるためには稼がないといけないのか…。

まあ、大勢の人々が考えつくようなことです。実現するかどうかは置いておいて「生」を見つめるためには「コミュニティ」の線を考えていかないとなあ…と考えています、ということです。

そろそろ品川駅です。降車の準備をしましょう。ここで、こういう怪文書を残そうと思ったのは、来年の自分、再来年の自分が迷った時に1つ提案を投げかけられるからですね。そういえばコレやってみようかなあ、みたいな。ここまで読み進めたという人は相当の物好きですね。次の記事は旅や探鳥の話ができれば良いな。ということで、仕事に行ってきます。― それでは、また。