a.k.a.Sakaki

赤坂さかきの旅路

The Way Up to Heaven

小説は、過不足なく読まなければならない。読みが不足するのは言うまでもないのだが、書いてあること以上の内容を読者の想像で勝手に補ってはならない。正確に読むということは、その小説の作者と同等(あるいはそれ以上)の力を有している必要があるのかもしれない。

 Roald Dahl の短編小説 “Kiss Kiss” の第3章のテーマをひと言で表すならば、‘willful negligence(未必の故意)’ であるだろう *1 *2。 主要な登場人物は老夫婦であり、奥さんは、時間に遅れることを極端に恐れる性格で、その感情が頂点に達した時、目のあたりがヒクヒクと痙攣し始める発作が出る特徴がある。一方、夫の方は、そんな妻に対して「わざとゆっくり支度する」などして、嫌がらせを楽しむ非道極まりない性格をしている。*3

 物語は、奥さんがエレベーターから出てくる場面から始まる(p.51:out of the elevator)。ここでダールが「どこのエレベーターから出てきたのか」を曖昧にしているのは、創作のテクニックなのだと思う。並の作家であれば「6階建ての家(p.52)」という情報を先に出して、その後で「エレベーター」を登場させるはずなのだが、それを敢えてしないということは、このエレベーターで何かが起こる、あるいは、このエレベーターが物語のキーワードになる可能性が極めて高いことを表しているだろう。ここが拾えなかった場合、あっという間に最後のページまで行ってしまうため、途中で何が起こっているのか、最終的に何が起こったのかが掴みにくくなる *1

 妻は、パリに住んでいる娘とその娘(=孫)に会いに行こうとする。一方の夫は、その間、召使に全員休暇を与えてクラブで過ごそうとしているようだ。妻は、夫から6週間も離れてパリに滞在するということが許されるとは思っていなかったようで、気を揉んでのことなのかは分からないのだが、手紙を書くという旨を述べている。ところが、夫の方は「大きなことがない限りは返事をしない」という趣旨の発言をしている。この夫の不精な性格描写は伏線と捉えても良いかもしれない。

 飛行機が悪天候のために離陸できないことになった *4。そこで出発を翌日の朝にする。その翌日に事件が起こる。

 63ページで、夫の方は「櫛を忘れた」と慌ててた様子でコートを探し出し、その後は家に戻るのだが、これは、小説の冒頭にあった夫の性格が関係していて、出発を遅らせようと妻に対して嫌がらせをしていると考える必要がある。その証拠に、64ページにあって「座席の隙間に誰かが押し込んだかのようだった」とある。夫が座席から離れた時に見つかったのだから、確実に夫がそこに隠したものだと思わないといけないだろう。

 そして、事件は起こる。その事件の詳細は描かれていないのだが、伏線と結末を考えると、夫がエレベーターの故障に遭ってしまい、閉じ込められてしまうものであると予想される。

 妻の方は、その小さな白い箱を届けるために妻は家に戻ろうとするのだが、扉の向こうで何か「音」を聞くのである(65ページ)。ここを ‘voice’ ではなく ‘sound’ と表現しているダールに鳥肌が立ったのだが、ここでsoundとしなければならないのは、この小説のテーマである「未必の故意」が関係している。voiceと書いたのであれば、彼女は夫を助けないといけないのである。ここをsoundとすることで、彼女は知らないフリをすることができるのである。より正確に言えば、彼女はその音の主が夫なのかどうかはハッキリしていないという点がポイントである。仮にそうであればいいな…という考えで、運転手さんに出発を命じたのである。*5

 そして6週間、彼女はパリで夫のいない生活を満喫する。「ちゃんと食べてくださいね」という手紙を書いたのは皮肉である。彼女に確証はないものの、エレベーター内で夫が閉じ込められているというのに何かを口に入れることができるわけない。

 きっかり6週間とした理由は、もし彼がエレベーターに閉じ込められていなかったら、何を言われるかわからないし、彼がエレベーターに閉じ込められていたとしても、アメリカに戻らなかったら事件に関与したと疑われる可能性があるからだろう。

 そして、家に入って確信し、ニヤリと笑うのである。怖い。何も知らないフリをしてエレベーターの修理を依頼し、これも皮肉なのだが、いつも夫が使っていた椅子に座って修理屋が来るのを待つのである。つまり、夫と妻の立場が逆転してしまうということを意味しているのである。

 気持ちが悪い話だし、後味も最悪なのだけど、よく作り込まれた小説である。改めてダールの能力を尊敬した。

*1:この物語における未必の故意」とは、平たく言えば、相手が死ぬことを理解した上で事件を放置することを言う。通常、本人に明確な殺意がない場合でも殺人罪が適用される。

*2:余談ながら、この willful のような歯切れの良い単語を聞くと、いつもEmersonの “Nature” を思い出す。「木こりの話に学はないが単語に力強さがある(意訳)」という箇所なのだが、妙にインテリぶったラテン語系の英単語よりも、その土地で育った英単語の方が鋭い印象を与える気がするのだ。なので、ここを intention などの単語にすると伝達する力が弱くなる気がするし、リズムも狂う気がするのだ。(もちろん意味も若干異なってくる)

*3:これが事件の鍵にもなっているのだが、そんな彼の性格をよく表している動詞に ‘announced’ が57ページの1行目にある。情報理論からすると「対話する」状況では使われにくい単語である。何か一方的に強く物を言っているような印象を抱かずにはいられない。

*4:途中で夫が「引き返そう」と言ったり、出発の日に空港とは反対方向へと車を走らせるように言ったりするなど、所々でこういった描写が見られるということは恐らく妻をパリへ向かわせたくなかったのではないかと推測できる。

*5:この運転手さんが、注意深い人であれば妻の顔を読み取って後に殺人罪の証拠として立証できるのだが、注意深い人ではなかったようだ。扉に鍵がかかっていたことを知らせる時にそういった記述がある。抜かりがない。

*1:話の伏線というものは、物語を読み終えた時に気付くものばかりではあるが、これに即座に気付けるようになるためには、経験(読書量)を積むしかないだろう。