a.k.a.Sakaki

赤坂さかきの旅路

お花見:2024年

毎年恒例のお花見です(去年の記事
今年は満開のタイミングに上手く乗ることができたので、夜桜までしっかりと堪能してきました。去年に引き続き今年も中々晴れてくれないのに困りましたね…。

日中のお花見

貴重な晴れ間

一瞬の隙を見つけては望遠レンズで樹木の上部に咲いている株をすっぱ抜いていきましが、コレが最も春っぽい一枚となってくれたような気がしています。

気持ちの良い青空です。どういうわけか曇天での撮影が相次いでおり、このブログに対して仄暗い印象をお持ちの人も少なくない気がしていますが、今回はスッキリ晴れやかなイメージを持ち帰ってもらえそうです。

たまたま落ちてきた花弁

その辺の花びらを拾って置いたのではなく、偶然、本の上に落ちてきたらしい。物語を感じる一枚ですが、章題には「嫌がらせ」の文字が。嫌がらせのつもりなのか?

たかだか日差しがあるだけで生命の息吹きを感じるのは気のせいでしょうか。シャッターを押す度に「う~ん、春だなあ」と思いました。ここまでの写真は全て XC50-230mm のキットレンズを使用していますが、写りには非常に満足しています。

XF35mm F1.4 R - F.1.4, ISO 320

ポートレートも楽しめました。「顔出しはNG」と念を押されたので顔は黒塗りですが、とても絵になりますね。可愛く撮ることができました。

晴れ間は一瞬だけでした。ここからは日差しがない中での撮影です。とはいえ、構図を工夫する楽しさを味わいました。マンネリ化を防止する上でもこういう気持ちの切り替えも大事。

今年もスズメが豊作

今年こそサクジロー(桜とメジロ)を狙っていたのですが、ヒヨドリとスズメしかいない様子でした。中々メジロと出会えません。

XF10-24mm F4 R OIS WR - F4, ISO 320

「曇天なら桜で埋め尽くしてしまおう」という発想で超広角レンズを使ってみました。一本あれば重宝しますね。役立つ瞬間が訪れて良かったです。

"the bestest" な瞬間に撮影できたこともあってか、ボディをもう1台増やしたい気持ちで溢れています。

 フルサイズ機(あるいは中判機)を増設したいところではありますが、手元の富士フイルムのシステムで試したいことがあったり、レンズの費用までを工面できないこともあったりで、同じ富士フイルムの X-H2 を検討中です。

夜間のお花見

優勝

そんな APS-C 機が苦手とされている(?)暗所の撮影に今年は挑戦してみました。そういえば、ミラーレスカメラを導入した理由は夜間の撮影だったような(関連記事

XF56mm F1.2 R WR - F1.2, ISO ~ 3200

映りにこだわりがある人にとっては迷わずフルサイズ機を入門機にした方が良いですが、APS-C 機でも明るいレンズを装着していれば(Lightroom の AI ノイズ除去利用を前提に)綺麗に撮影できるように思います。

暗所の場合 RAW での撮影は必須ですが、綺麗に玉ボケもしています。コントラストと露出を少々触りましたが、色調も彩度も触っていないものの綺麗に赤色が出ています。

フリンジも出ていません。綺麗です。

XF56mm F1.2 R WR が優秀過ぎます。現金一括で買える時に少々無理をしてでもお迎えしていて良かったです。これを4000万画素(X-H2)で実現できたらどんなに楽しいだろう。

妖光・妖艶

彩度を落としたのにキツめに仕上がってしまった気がします。コレはコレで綺麗です。桜に魅せられた西行法師の「願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」の句を思い出していました。

花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ
あたら桜の とがにはありける

個人的にはこの句の方が好きなんですけどね。
桜って罪な木です(人間の都合ではありますが)

オマケ

ノイズが乗った感じも趣がある

インスタントカメラも使ってみました。フラッシュを焚いて撮影してみたり、心が動いたままにシャッターを押したりして楽しみました。そういえば、これも富士フイルムですね。

これだけ高画質化が進んでいる中で思い切り「逆張り」するのが反対に面白かったりします。いつも撮っている写真に飽きてきたら、今回のようにインスタントカメラやチェキを使ってみるのも悪くないですね。

また来年

高性能のカメラは時代と共に現れます。360度周囲の撮影も可能となった現代です。今後は3Dでの撮影技術も民主化する世の中になっていきそうです。

 写真や映像を単なる記録として残すのか、それとも、没入感のある非日常的な体験を提供するのか。クリエイターにも時代の変化に適応する能力が求められているように常々感じられます。

 分野を問わず求められることが高度になってしまい、感動もたくさんある一方で、それに対して息苦しさも感じられるような気がしなくもありません。

 ― それでは、また。