a.k.a.Sakaki

赤坂さかきの旅路

近況:自室より⑤

自宅のお風呂だと所謂「カラスの行水」なのですが、このスピーカー(マーシャル・エンバートン)を買って以来、長湯するようになりました。

 この感じだと、音楽ではなく Kindle を買って入浴しながら読書しても良いのではないかなと思います。まあ、そこまでして本を読みたいわけではないのですが、お風呂に湯を張る口実にはできそうです。それに、電気を消して横になって読めますし。

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 今回このように記事を書いているのは、来年度以降について思うことがあったからです。ざっくり結論からお話すると、岡山県に引っ越す話が無くなりました。タイミングが合わなかったのが原因なのですが、現職の契約更新という形で来年度も京都での生活です。「大規模な人員整理を行う」との発表がありましたが、運良く生き残ることができました(そもそも非正規雇用なのだから人員整理も何も切る前提だと思っていました)

 紹介してくださった知人にはとても申し訳ない気持ちがあるのですが、翌年専任という条件付きの非正規雇用とのことで今の環境からは住む場所が変わるだけでした。30歳目の年で「環境を変えようかな」なんて考えていたところに降ってきた話だったので、渡りに船だったのですが、今年度に限って契約更新の話が今月に行われてしまいました。こうなると、縁がなかったと考えるしかありません。

 とはいえ、この話をきっかけに「そろそろ広島に帰っても良いのでは」という気持ちも湧いてきました。当の本人はどうすべきなのかが分からないのですが、なんとなくそういう節目が近付きつつあるように思います。

 そんなことを考えながら、今日は卒業アルバムの写真撮影のために職場の図書館に集められたのですが、目に留まったのが『文學界』でした。好きな作家がエッセイを寄稿していたので、何の気なしに開いたページに以下のことが書かれてありました。

 もし小説家としての節目、吹っ切れた瞬間があるとすれば、自分の能力の限界を知った時だと思う。(中略)ある日突然、目をつぶって無茶苦茶に泳いでいたら25メートルのプールを泳ぎきったときみたいに、いきなり手が壁にタッチした。え、終わり? とザバァと水の中で立ち上がり、荒い呼吸のまま後ろを振り返ってみると、自分が無茶苦茶泳いだ痕跡は何もなく、ただプールの水面が青いだけ。しかもタイムがとんでもなく遅くて、四年経ってしまった、みたいな状況だった。
 自分の小説家としての能力が、きっかり25メートル分しか無いと分かったとき、残念だったけど、一つ肩の荷が下りたような気がした。このプールのなかで、できることをやるしかないと、目標が立てやすくなった。いままで100メートル分の仕事に憧れてきて、自分もできるはずと思ってきたけど、ようやく自分の現在の長さが分かってきた。そんな甘い世界じゃなかった。これからもしぶとく書き続けていれば、来年には26、再来年には27メートルくらいには拡張しているかもしれない。そんな風に思えるようになったのが、二十代後半からだった。(以下略)

綿矢りさ,「果てしなくないプール」,『文學界』, 2月号, 文藝春秋社, 2021, pp.296-297.

 我がことのような文章でした。広島で修士論文を書き終え、口頭試問を通過し、博士課程後期はどうしようかな…なんて考えて引っ越して来ました。自分も努力を続けていればあんな知識人になれると思っていました。

 しかし実際は「まずは生活に慣れることから」なんて言い聞かせながらも自分にあらゆる能力がないことを薄々勘付いていたのではないかなと思います。その現実を直視することができず、理解できないような難解な本を買い込んだり、あらゆる自分の問題を職場のせいにしたりしていたように思います(まあ、全くないわけではないはずですが)

 そんな甘い世界ではなかったのです。知的探究は、ずっと続けていればよいのですが、それは別に京都に住まなくてもできることです。学会が集まってくる場所なので引っ越して来て、それなりに友人と会って話すこともしたのですが、生活の大部分は仕事で忙しくなっただけで、あまり変化はありません。

 したがって、京都滞在は来年度を最後にしようかな…と、現時点で考えています。もちろん、現時点ではのお話です。専任教諭として雇ってくれる学校が見つかったら、そこで自分のできることをできる範囲でやって、大きなことをすることもなく、人生に幕を下ろすことになりそうです。

 …しかしながら、肩の荷は下りたのかもしれません。とてもつらく、気力も湧いてこないのが本音なのですが、自分に正直に生きてみようと今は考えるようになりました。

 30代の自分は、何メートルのプールに拡張できているでしょうか、そして、そのプールの中で溺れず根気よく泳ぎ続けることができているでしょうか、いくつ泳ぎ方をマスターできているでしょうか。

 20代はずっともがき苦しみ続けていましたが、少しは息継ぎの方法が分かった年代だったのかもしれません。それが分かっただけでも、京都にやって来て良かったのかもしれませんね(※もう帰る前提で話が進んでいますが未定です)。早く今年が終わって欲しいような気がします。それでは、また。