広島市植物公園で開催中の『変化朝顔展』まで撮影に行ってきました。
ただ、自発的に…というわけではなく「一緒に行く?」という連絡が来たので、今回もOKの二つ返事で歩きに行きました。今回はいつものお散歩レンズと、マクロレンズの2本だけの軽装備で撮影です。
この日はとても涼しくて、毎日こんな気温の夏なら許せるなって思いながらバスに乗り込みました。真夏の日中に出歩くことなんて滅多にないので、夏に咲く花の撮影ができることも合わさり、ストレスが和らぐのを感じました。
最初に出迎えてくれたのは、人の顔より大きい花でした。ハイビスカスの3~4倍くらいはあるのでは。単体では伝わりませんが、並んで写真を撮るとそのスケールの大きさが分かります。
ピークは過ぎていましたが、前回(春に来た時)にはネモフィラ畑だった場所がヒマワリ畑になっていました。ほんの少し小ぶりな品種です。
オジギソウで遊んだり、大きな蓮の花を眺めたり、まだ若い柑橘類の果実を眺めたり…目的の朝顔展以外にも興味を引く植物がたくさんでした。気温さえなければ夏も悪くないものです。地球さんのここ数年の「メンヘラ気候」には振り回されてばかりです。
ということで、真打ちの「変化朝顔」を見ていきます。遺伝子の突然変異によって姿を変えた朝顔のことをいうのですが、こういった朝顔は江戸時代の中頃に始まり、何度かブームになったのだそうです。
丁度、江戸時代といえば金魚が生まれた時期でもあるので、動植物を問わず、こういう「交配」が流行していたのかもしれません。明治時代に入る直前に「メンデルの法則」が発見されましたし、時期的にもピッタリと当てはまります。
アサガオは、そういう人間の好奇心を満たしてくれていた存在だったようです。ある意味では残酷な「遊び」ではありますが、近代科学を支えてきた存在であるともいえます。
個人的な変化朝顔の面白ポイントは、出物と正木の2つに分類されるところです。比較的、変化が単純で種が取れ、植えたものが親株と同じように変化する「正木」と、1/4、1/16…などの確率で、種が取れないものの複雑な変化が出る「出物」があります。
出物タイプの変化が現れたものは種が取れません。メンデルの法則の話になりますが、その種類を維持するためには、出物の遺伝子(a)と正常な遺伝子(A)を併せ持つ「親木」と呼ばれる株(Aa)を育てなければなりません。簡単に箇条にすると以下のとおりです。
- AA:変化抜け朝顔
- Aa:親木
- aA:親木
- aa:変化朝顔(出物)
出物の遺伝子の多くは劣勢(潜性)なので、親木(Aa)は、出物の遺伝子がない正常な株(AA)と見た目では区別がつきません。そのため、種を取るまでは「親木候補」として育て、種ができたら試しに蒔いてみて出物が出るか否かを確認し、変化の遺伝子を持っているのかを確かめるのです。出るまで分からない、というのが面白いですね。
変化は花だけでなく、こういう茎部分にも現れます。これは「帯化」と呼ばれる現象で、その名の通り、平打ち麺(きしめん)みたいになっています。「石化」の別名にあるとおり、茎にしては硬い触り心地でした(許可を得て触らせてもらいました)
それにしても変化朝顔展、楽しめました。巡回しながら「豊富な知識は、退屈から身を護る盾になる」というバートランド・ラッセルの言葉を思い出していました。
世の中は「役に立つ」と「役に立たない」という区別で知識を分類するきらいがありますが、個人的には退屈を紛らわせるためのものだと思っています。
何の役にも立ちませんが、宇宙の話や巨大生物の話を聞くとワクワクしないものでしょうか。今回の「メンデルの法則」も、知っていればこんなにも面白い時間を過ごすことができます。勉強というのは、本来、そういうものであるはずです。
一般的に、勉強とは、大学に合格するため、入社試験に合格するため…のように、嫌々、何の脈絡もなく暗記するだけで終わることが多いのが現状です。しかし、そういった試験勉強は面白くありません。
ゲームやアニメのような娯楽に夢中になる子供が多くなるのにも納得できてしまいます。ゲームやアニメも面白いものではありますが、子どもたちには、心からワクワクするような知的な面白さも感じてもらいたいものです。
教育現場こそは見限ってしまいましたが、今でも学校はそういう場所になって欲しいと思っています。少なくとも、自分はブレないでいたいと考えています。
子どもたちのはしゃぐ姿を眺めながら、そう、強く考えるのでした。